昨今では様々なメディアでAIに関するニュースや話題が目立って取り上げられるようになりました。
そんな中、実感できるのが機械式時計はAIが進化し続けても価値が変わらずに維持されるものの一つであるということ。
大切な時間の管理こそAIとは切り離したい
人それぞれ意見が分かれる部分かとは思いますが、腕に着けている時計にまでAI機能が進出してきたら便利を通り越して邪魔な存在ではないでしょうか。
特に休日に使う時計なんかだと時間のチェックに時計を見ることで、そのアナログな動きに安心したい気持ちもあることでしょう。
そして、情報技術の進化から遠ざけたところで存在意義が変わらないのも機械式時計の面白い特徴かもしれません。
ゼンマイの力で動く純粋なアナログ時計は、人が特別意識することなくAIから意識を切り離すことが出来る手段として最も身近な存在とも言えるでしょう。
個人の大切な時間を過ごすためには、正確さだけでなく自分だけのお気に入りの機械によって生み出されたリズムで刻まれる時刻はある意味理想です。
小さな機械の塊が生み出す独特の質感
時計も製造工程などの部分で科学技術の投入は目覚ましいものがあるでしょう。しかし、完成した時計本体に見て取れる時を刻むための動作が自然に映るのは、そこに機能美というものが介入しているからと考えます。
現在の機械式時計は、追い求めた機能性と常時身につける物として美しさも妥協しなかった腕時計の文化や歴史から生み出された芸術品のようなもの。
そこに素材に使われる金属の重量感だったり風防のガラスが生み出す輝きなどが演出され、他に類をみない小さな機械の塊である腕時計独特の質感が現れています。
進化し続けるAIとは無関係に、これほど質感を美しく体感できる機械製品はこの先も現れることはないのではないかと思います。
普遍的であり続ける機械式時計の存在
AIの進化に合わせて利便性の向上が見込まれるものとして、PCやウェアラブルデバイス、スマートスピーカー、家電など多くのものがあげられます。
それらに比べ、今日までPCが高性能化しても価値や性質がそれほど変わらなかったものに電卓があります。
単純な数字の計算にはPCやスマホのアイコンを探すより、電卓を机に置いておいたほうが効率的な場面が多いということでしょう。
機械式時計に至っては、電卓とは異なる性質の物で比較の対象にはなりませんが人が感じとる感性が他の持ち物や備品には類がないほど際立っています。
これらは人が長年携わってきた時計の開発や製造の歴史があって、それを時間を確認する手段として、または手首に身につける装飾品の類として文化的にも受け入れてきた証と言えるでしょう。
時計はAIの進化により影響を受ける部分が少ないというより、デザイン面などAIによる技術を介入させることで逆に価値が損なわれる面があるかもしれません。
心配なのは、メーカー側が無理にAIと結び付けて、そうしたマーケティング戦略がまあまあ成功してしまった場合。
そんなときも、新しいアイディアが一時的にムーブメントを巻き起こすことがあっても、オーソドックスな機械式時計の価値観は途絶えることなく一定の期間をおいて蒸し返されるものであることでしょう。
あらためて思うに機械仕掛けで動く、人が巻き上げたゼンマイの動力だけで動く時計の歴史がいまだかつて途絶えた記録がないのですから。
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